危機と再出発~
家庭医教育30年
北から広げた家庭医療の
日本地図
山田 康介
医療法人北海道家庭医療学センター副理事長
本版家庭医教育の確立に挑む~はじまりの10年
北海道家庭医療学センター(HCFM)が研修医の受け入れを始めたのは 1997年。おそらく日本で「家庭医」という名前を明確に掲げた初めての研修プログラムだったはずです。家庭医療を勉強したいという若い医師が、全国から集まりました。
しかし指導者である葛西龍樹先生が多忙であったことから指導体制は薄く、研修を終えたばかりの私や草場、中川といった卒業生が、なんとか現場を支えながら必死で教育を回すという日々が続きました。不安に駆られて途中で辞めていく研修医も少なくありませんでした。
指導法も手探りでした。もちろん最初の枠組みは、葛西先生がカナダから多くを持ち込み、作り上げてくださいました。外来診療を録画して見返すビデオレビューのように、今もそのまま活用している手法もあります。一方で課題だったのが、日本における家庭医のロールモデルがなく、明確な到達目標がないことでした。たどり着く港を知らずに航海を続けるようなものです。僕ら指導医と研修医が、毎晩のように洋書を手元に「家庭医に必要な能力とは何か」「どんな教育が必要か」徹底的に議論しました。指導医と研修医といっても年齢差はわずかなので、同じ志を持つ部活仲間のように切磋琢磨したことを覚えています。
試行錯誤の中で研修カリキュラムを整備し、各地で得た学びを持ち寄って振り返りや FM カンファレンスといった教育手法を定着させました。この時期に育った 9 期生の佐藤・松井、10期生の加藤は、今や組織を支える存在となってくれています。
もがきながら省みた~苦難の10年とその後
教育システムが形になりかけた 2006年、葛西先生が HCFMから離れ、翌年には「家庭医」と私たちの最大の理解者であった日鋼記念病院の西村昭男理事長が退任しました。2008年に僕らは日鋼記念病院を離れて独立しますが、指導者と臨床研修の病院を失ったことで、研修医を募集してもなかなか集まらない、苦しい時代が続きました。
幸いにしてフェローシッププログラムが始まり、7期生の安藤、8期生の松田・平野が参加してくれたことで、指導医として残る道筋を確保できました。専攻医として厳しい環境を乗り越えた村井・掘・中島・今江らは、現在HCFMの各施設でサイト長として活躍しています。
もう一つ、苦しくなった原因があります。2006年に日本家庭医療学会が研修プログラムの認定制度を始めるのにあたり、HCFMの研修プログラムをひな型にしたのです。さらに2010年に日本プライマリ・ケア連合学会が立ち上がると、プログラムが引き継がれ、全国に広がりました。
これ自体は非常に誇らしいことです。僕らのプログラムが全国区になることは、「家庭医療の発展への貢献」というHCFMのミッションにもかなうことだから。しかし、これによりコモディティ化が一気に進みました。僕らの研修プログラムが独自性を失い、わざわざ北海道まで来なくても家庭医の研修を受けられるとなったのです。いうなれば、特許が切れたような感じです。
僕らはいま一度、足元を見つめ直すことにしました。HCFMらしさとは何か。育てたいのはどんな家庭医か。1年以上かけて議論し、研修目標の柱を明確化しました。
それが Global rating、現在は
「振り返りシート」として運用しているものです。
ここで掲げた6つの医師像は次の通りです。
- 患者さんを中心においた医療を実践する力
- 様々なケアをとりまとめる力
- 地域コミュニティ全体を診る力
- プロフェッショナリズム
- 振り返りながら学ぶ力
- 臨床能力
軸ができたことで指導医も、ブレず、迷わず、家庭医養成に専念できるようになりました。
2016年からは帯広協会病院の総合診療科を運営することとなり、HCFM指導医による病棟研修と初期臨床研修が可能になりました。ここではサイト長の掘が本当によく踏ん張って、教育の質を上げてくれました。その結果、道内の医大生の間でも評判となり、協会病院の臨床研修から HCFMの専門研修プログラムへ進む流れが生まれています。

HCFMで学ぶ「深さ」「広さ」「多様さ」
家庭医療の深さと広さ、多様さを実感できる。それがHCFMの強みだととらえています。
まず、深さ。人が何らかの苦しみを抱えたときに、どのような経験をし、どう癒やされ、医師はどう関わるのか。単なる疾病治療を超えた医療の本質、その深みに向き合うことができます。
次に、広さ。何でも診る。誰でも診る。どんな病気であっても診療を断らない。赤ちゃんからお年寄りまで、どんな患者さんも診る。それは家庭医療の難しさであり、大きな魅力でもあるでしょう。
そして、多様さ。場所が変われば必要とされる医療も変わります。HCFMの研修では郡部診療所、都市部診療所、病院をローテートします。一つの現場で自信を得たとしても、別の診療所へ行ったらまったく通用しないというのはよくあることです。どんな場所であっても、そこで求められる医療に合わせて自分自身を変えていかなくてはなりません。「HCFMで学んだことがすべてではない」。逆説的ですが、それを身をもって経験できるのがHCFMの研修です。
HCFMには30年で72名の卒業生を送り出しました。数だけをみると、まだまだ力不足という思いもあります。ただ、一人ひとりの顔を思い浮かべると、指導医として感慨深いものがあります。
HCFMに残って活躍してくれているメンバーもいます。榎原のように、大学教育に携わりながらHCFMに後進を送ってくれる卒業生もいます。それぞれがHCFMのカラーをまとい、全国各地で家庭医療の発展に貢献しています。
その熱が、これからも日本の医療を支えてくれると信じています。


